講演記録

マーガレット・ベケット 元英国外相

マーガレット・ベケット
元英国外相

特別講演「気候の安全保障」

マーガレット・ベケット 元英国外相

このシンポジウムで気候変動の安全保障上の課題について認識し議論をするというのは、気候の安全保障、あるいはエネルギーの安全保障自体の必要性のみならず、極めて時宜にかなったテーマを取り上げているといえます。

と言いますのも、日本が議長を務めますG8サミットが目前に迫っており、世界の首脳は、世界が今直面している重要な課題に取り組まなければなりません。

第2に、アメリカ議会が委託をした気候変動の安全保障上の意味合いを分析する国別情報評価(ナショナル・インテリジェンス・アセスメント)が、皆がこれは待っていたものですが、近々公表される予定であります。

3番目でありますけれども、今世界は深刻な経済的なプレッシャーを感じているということです。その規模、あるいはその内容からいっても、当然ながら、ほかに複雑かつ難しい問題があっても、金融問題、経済問題以外を取り上げるのは躊躇する向きが当然あるでしょう。やはり今は無理、後回しという誘惑に駆られてしまうでしょう。しかし、これは絶対やってはならないということであります。

気候変動の影響というのは、主に未来の世代がこうむるものであって、我々ではないという前提があります。我々の世代は、道義的な責任はあるかもしれないが、実存主義的な命題とはならないという考え方です。2番目の考え方は、その帰結として、やはり今後数十年かけて問題に対処していけばいいのであって、数年とか数カ月という課題ではないと考えがちであるということです。これらは2つとも誤った考え方であります。

我々は重要な教訓を経済面の問題から学ぶべきだと思います。どういうプレッシャーが今、経済・金融にかかっているのか。目先の経済問題、金融問題にとらわれて、気候変動を決意を持って、緊急に、そして力強く取り上げないというのは、愚かなことだということであります。といいますのも、油価高騰やガス、食料の価格高騰は、経済の繁栄も脅かすからです。そして、それがさまざまな不安定を招く。これは、前例がないわけではありません。例えば、アメリカの信用収縮とか、あるいは、中国やインドやブラジルが急速に経済的に伸びているといったことは、単純明快な経済的事象であります。しかし、食料生産の一部がバイオ燃料に振り向けられる、こういうことが起こって初めて気候変動とか、気候変動がもたらす影響ということに目が向いてくるわけであります。

単純明快な経済問題と言いましたけれども、それをつぶさに見てみますと、やはりもし気候変動に対処されなければ、食料の供給、そしてエネルギーの供給にも影響が及ぶ。これは経済分野だけでも大変なことになりかねないということであります。米軍の退役高級軍人、あるいはEUの軍人も最近評価しているように、気候変動というのは、さまざまな脅威を乗数効果として何倍にも押し上げてしまう危険性があるということです。ですから、世界の首脳は今この課題に取り組まなければならない。やはり世界にとっての危険性がある。もちろん、経済問題も重要な問題ではありますけれども、より大きな規模で、例えば、自然災害も頻繁に起こる。そして、何千人、何万人、何百万人と人類に影響が及ぶということです。ですから、気候変動について対策を先送りするのではなく、経済危機が今あるからこそ、より大きな野心を持って、より早く、そしてより深く、危険に取り組まなければならない。もう避けられない環境という問題に取り組まなければならないということです。

だれも疑問の余地がない、第一義的な安全保障上の問題であるということです。食料価格、エネルギー価格が高騰する。これが大きな影響をもう及ぼしているわけです。エネルギーの安全保障や、食糧をめぐって30カ国ほどで騒乱・デモが起こっている。これは大きな脅威であります。それは、気候変動によって起こりうると科学者が予見し、科学者が予測を立てたことから起こってきていることです。オーストラリアなども疑問を持っていましたが、目に見える形で食料価格の高騰に結びついている。これはマクロの経済問題にもなっているということです。

だからこそ、リーダーシップが今こそ絶対的に必要なのです。私は確信しておりますが、福田総理はリーダーシップを十分にとっていただける。コミュニケーションに対するリーダーシップ、先見性を持ったリーダーシップで、未曽有の国際協力が必要だという認識に立っていただくということです。リーダーシップというのは、行動のための野心的な目標を立てるという意味でも必要です。7月に世界の首脳が集まるときに、国際社会がこういう要求を今、突きつけているのです。

コミュニケーションのリーダーシップについて、単純な例を挙げましょう。1週間ほど前になりますが、ラジオでイギリスの一般人に対して質問がされておりました。ある人はこう答えておりました。「僕は子供がいないから関心ないね」と。明らかに、彼は多くの人々を代弁しているのだと思います。こういう人々はよくわかっていないのです。気候変動というのは、実は未来、あすの問題ではない。もう今日、現在の問題なのだということをわかっていないのです。

2012年に京都議定書の第一次約束期間が始まる。そして、2008年、2009年ごろから、真剣にその後の交渉を始めなければならない。破滅的な気候変動を避けるためには、向こう10年のうちには排出量の曲線を下に下げる、逆転させなければならないということです。今こそ行動をとり始めなければならない。そして、その影響というのは、孫や子供たちの世代ではなく、もう今から始まっているのです。我々の世代、今の大人たちがまず第一に影響をこうむるのです。

異論を唱える人もまだ残っています。気候変動が起こっているのかどうか疑問を唱えています。また、人間の活動が主たる原因なのか疑問を唱える人もいます。しかし、気候モデルについては、長年にわたってもう予測されていたのです。そして、それがもう実際に影響としてあらわれつつある。あるいは、我々の予測した以上に悪影響が出てきているということです。二酸化炭素の吸収力というのは、我々が思っていたほどないかもしれないということです。世界に対する物理的な影響ですけれども、気候変動によってどういう帰結に至るのか。それははるかに環境という分野を超えて大きな影響をもたらすものであります。洪水とか、感染症とか、飢饉。そして、その結果として、空前の人口大移動が起こるかもしれないということです。また、干ばつや作物の不作ということも起こる。それによって食料や水やエネルギーをめぐって大きな競争になるでしょう。また、経済も混乱する。これは、スターンレポート、スターンレビューでも予測されておりますが、第二次世界大戦が終わって以来の大混乱が起こるかもしれないということです。

ですから、世界の首脳たちにとって、第一の具体的な課題は、科学者が言っていることにぜひ耳を傾けてほしいということです。いかに緊急の課題として行動をとらなければならないか。そして、それを国民に伝えてほしいということです。日本の政府が日本の国民に対しやっていらっしゃるようにであります。

2年前に英国南極観測所が、そしてアメリカの国家雪氷データセンターが両方とも、極地の氷は雪氷学者が予測した以上に速いスピードで溶けていると、報告しています。NASAの科学者が言っていますが、向こう10年のうちに排出量の削減が起こらなければ、おそらく破滅的な気候変動の影響は避けられないだろうと言っております。より最近ですが、ウィルキンス棚氷が崩壊した。これは、フランスのパリの4倍の面積を持っている巨大な氷山です。割れて、南極大陸から切り流されてしまいました。昨年の夏、南極の面積がそれによって大きく縮小したのです。北極の氷も、実は3倍のスピードで減少しているということです。ですから、21世紀の終わりには、北極の氷は夏には溶けるかもしれないと予測しているのですが、実はもっと早いかもしれない。向こう20年のうちに、夏には北極の氷はすべて溶けてしまうかもしれないということです。

これらはほんの一握りの例です。ほかに数多く例が起こっているのです。そして、こういう変化というのは、プラスの面もあれば、害になるマイナスの面も出てくるでしょう。やはり認識することが大事です。経済成長と安定した気候、どちらか一つ、二者択一という問題のとらえ方は間違っている。その両方を両立しなければならない。これは可能なのです。この点については、後ほどまた詳しく触れたいと思います。

それでは、どういう影響があるか。北極の氷が失われるということは、実は逆に新たな水路が開かれるということです。国際貿易ルートが新たに開かれるということです。北米北西航路が開かれることによって、EUや日本や中国の市場の間の距離は短くなるでしょう。さらに、巨大な天然資源へのアクセスということも広がるでしょう。ただ、半面で、その帰結はどうなるのか。すなわち、世界の平和と安全保障と安定は揺らぐかもしれない。というのも、資源をめぐって、あるいは航路をめぐって激しい競争になるかもしれないからです。資源ベースの紛争というのは、目新しいことではありません。文字どおり、もう昔からずっとあるものです。しかし、地球温暖化、気候変動によって、また破局的な新たな力学が生まれるかもしれません。新たに資源が増えることによって激しい競争になるかもしれない。

その根本原因である氷が溶けるということ、それによって大量の水が増える。これで、海面が上昇するということにもなる。そして、予測不可能な海流、潮流への影響も出てくる。そして、海の水温にも影響が出る。そして、気象、天候にも影響が出る。その仕組みはほとんどわかっていないのです。地球の表面には、多くの都市や、港湾が沿岸に集中しております。あるいは、大きな川の河口デルタに集中しております。そこに豊かな農地も広がっているのです。世界の人口の2割は、こういう海岸地帯、沿岸地に住んでいます。例えば、インドや中国の東の沿岸部もそうですし、カリブ海、あるいは中央アメリカもそうであります。こういった地域は、とりわけ影響を大きくこうむるでしょう。申し上げましたが、中国の経済発展の3分の2は沿海部であります。あるいは、長江デルタなどに集中しているわけであります。ということで、海面が上昇する。そして、経済に大きな打撃を与えるということになれば、この地域全体の安定性が問題になる、危険になるということです。また、海面が上昇するということは、農地がそれだけ少なくなるだけではなく、農業の生産能力、これは土壌の塩分が上昇することによって、さらに農業が打撃をこうむる。既にもう世界の一部の地域ではこれが起こっているということで、不安定性が増しているわけです。

ナイル川の河口デルタだけでも、たった50センチ海面が上昇することによって、今現在の分析では、200万人の人が避難しなければならないとされています。最近、エジプトの大臣がこう言っております。エジプトの農地、農業の中心地の15%が、2020年に失われてしまうかもしれない。2020年というのは、たった12年先のことです。こういったことが起こり得るわけです。海面上昇によってこれだけのことが起こる。人口にもプレッシャーがかかる。そして、人口移動にも大きなプレッシャーがかかる。そして、土地がもう利用可能ではなくなってしまうということです。

極地の氷が今消滅し始めている。多くの氷河も消えつつあります。これらは貴重な水資源でもあるにもかかわらずです。アンデス山脈では、氷河が最も早く後退しております。チリでは、ことしの初めに、2番目に大きな湖がもう消え去ってしまいました。中央アジアのタジキスタンは、ここ50年間で氷河地域の3分の1を失っています。一方、キルギスでは、同じ時期に1,000以上の氷河が消失しているのです。ヒマラヤ山脈では、モンスーンの変動と氷河の溶けた水の減少によって、10億人以上が影響を受けることになり、水力発電を拡大するというインドの計画にも疑義が生じています。

そして、中国です。中国とイギリスの農業省で行ったしばらく前の共同プロジェクトによりますと、農地の15%ぐらいの消失と、作物の収穫量の30%減が予測されています。収穫量が下がる、それから、土地が失われるというのは、一般的に見られる現象なのです。

これらの予測の多くは、南アジア全体もそうでありますけれども、降雨量のパターンの変化、もしくは、降雨量の急激な減少に直接リンクしているのです。急激な人口増加ということは、もう既にこの地球上には人があふれていることを意味します。例えば、水の使用料は、1960年の倍になっています。広域の中東では、今日世界の人口の5%が暮らしていますが、水は世界のわずか1%しかありません。また、アラブ世界の約3分の2が、国外の水源に依存しています。しかし、ヨルダン川やヤルムク川の水量は、これから大幅に減少すると予想されているのです。イラン、イラク、サウジアラビアなどの国々は、将来の降雨量の減少によって、最も大きな影響を受けると考えられています。これらの要素が重なって、この地域全体で作物の収穫量が激減すると考えられています。

アフリカもそうです。干ばつ、水不足、土地の過剰利用などから、北アフリカとサヘル地域だけで、耕地の75%が消失する可能性があると言われています。アフリカの角、南部アフリカ、例えば、あのダルフールでも、その結果起きる食糧不安から、人口移動と紛争が生じるのです。ウガンダのムセビニ大統領は、アフリカの首脳として初めて、気候変動を、先進国による途上国に対する侵略行為だと言っています。こう発言するのは彼が最後ではないでしょうし、多分、この言葉に影響を受ける人はこれからも出てくるでしょう。

2007年4月、イギリスの外務大臣として私が国連安全保障理事会の議長を務めた際に、初めて安保理の議題に気候変動のもたらす平和と安全保障への影響というものを載せました。正直申し上げまして、そのような議論にすることに対して、かなりの反対がありました。安全保障に関する問題なのか疑問だという人たちからの声でした。しかし、結局、空前の55カ国以上がこの議論に参加しました。安全保障理事会のメンバーではない国々も参加したのです。そして、国連事務総長のみならず、彼のシニアスタッフすべてが出席。そして、コンゴの代表がこのような発言をしました。人々が土地、水、資源をめぐって闘うのはこれが初めてではない。しかし、今回は過去の紛争とは比べものにならないほどの規模になるであろうと。

私の確信は変わりません。今日、もしくはあしたの安全保障の問題に対応するためには、まず何よりも世界の不安定をつくり出す原因となるグローバルな不安要素に対応しなければならないのです。我々は脅威に直面しています。水の安全保障、食料の安全保障だけでなく、エネルギーの安全保障も脅威にさらされています。そして、これらの脅威は減少するどころか、増大すると考えられています。例えば、ロシアです。温度の上昇によって、シベリアが少し快適な場所になるかもしれませんが、ツンドラのパイプラインや道路が脅かされることになりかねないのです。これは重要なエネルギーのインフラです。